饅頭の意外なルーツやお役立ち情報をご紹介!
〜大福・団子・餅との見分け方から、おいしい食べ方まで〜
早いもので、一年の終わりが近づいてきました。
何かと忙しくなるこれからの時期ですが、疲れた時は休むことも大切。おやつでホッと一息ついてリフレッシュすると、もうひとがんばりできたりしますよね。
今回は、そんなリラックスタイムのお供にぴったりな饅頭のルーツをご紹介。誕生にまつわる興味深いエピソードやお役立ち情報などにもふれていきます。これを読めば、あなたも饅頭ツウになれるかも!?
1.饅頭のルーツは「三国志」で有名なあの人
饅頭の起源は、なんと中国の三国時代までさかのぼります。
「三国志」でおなじみの諸葛亮孔明が、蜀の軍隊を率いて南方に遠征した帰り道のこと。濾水(ろすい)という川が氾濫して、蜀軍は足止めされてしまいます。地元の人に尋ねると、「この川には荒神がいるので、49個の人間の首を供物に捧げれば氾濫は鎮まる」という答えが返ってきました。しかし、孔明は部下を殺して人身御供にするのは忍びなかったのでしょう。代わりに蜀の料理人を呼び、小麦粉をこねた中に牛や羊の肉を詰め、人の頭に似せたものを作らせて川に捧げました。翌日濾水の氾濫は治まり、孔明たちは無事に川を渡ることができたそうです。
孔明がこの饅頭の原型を発明した当時はまだ名前がありませんでしたが、のちに「三国志演義※」では「蛮頭(まんとう)」と記述されました。「蛮頭」とは蛮人の頭を意味しますが、祭壇に供えた後で食べるようになったことから、食物を意味する同じ音の「饅(まん)」の字を当てて「饅頭(まんとう)」と表記するようになりました。
中国では饅頭が主食とされ、中に肉や野菜を入れるのが一般的。餡を詰めるのは、もっぱら点心に限られていました。
日本に饅頭が伝わったのは南北朝時代。1349年に宋から渡来した林浄因(りんじょういん)が奈良で作った「奈良饅頭」が始まりとされています。仏教では肉食が禁じられていたため、浄因は具材を小豆餡で代用しました。
小麦の豊かな香り、ふんわり柔らかな皮、小豆餡のほのかな甘さ。小豆餡の饅頭はそれまでにない画期的なお菓子として人気を博しました。
室町時代には野菜入りの「菜饅頭」もありましたが、粉物が主食として好まれなかったのか、しだいに甘味として食べる小豆餡入り饅頭の方が日本における饅頭のスタンダードとなっていきました。
※「三国志演義」:正史の三国志より後に記された、蜀を正統とする長編小説。
2.饅頭と大福、団子と餅の違いとは?
ところで、みなさんは「饅頭と大福、団子と餅って何が違うの」と疑問に感じたことはありませんか?何となく似たような見た目をしているので、いざ説明しようとすると案外難しいものです。実はこの4種類の和菓子、材料と作り方に違いがあります。それぞれを見分けるコツをつかんでおけば、ギフト選びの際などに役立つかもしれません。
〈饅頭〉
中国の三国時代が発祥とされる。基本的には小麦粉で作った皮に餡を包み、蒸したり焼いたりしたものを指す。皮を味つけする場合も多い。餡の種類はさまざまで、小豆のこし餡やつぶし餡、こし餡にかの子豆を混ぜた小倉餡、えんどう豆で作ったうぐいす餡など、枚挙にいとまがない。外側の皮も小麦粉だけでなく、上用粉と呼ばれる米粉を使った「上用饅頭」、そば粉を使った「そば饅頭」、餅米のかるかん粉を使った「かるかん饅頭」、葛を使った「葛饅頭」など多種多様。生地を膨らませるためにつくね芋などを使う「薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)」、酒麹の発酵を利用した「酒饅頭」などもある。
〈大福〉
もち米を加工した皮に餡を包んだものを指す。もともとは家庭で作られていたが、江戸時代に小石川周辺に住んでいたおたまさんという女性が初めて商品化したとされる。当初は「腹太餅(はらぶともち)」と呼ばれていたそう。近年はクリームやフルーツ、チョコレート、アイスクリームなどを中に詰めた洋菓子風の大福も多い。
〈団子〉
中国の唐代が発祥とされる。もち米やうるち米で作った上新粉を練って丸め、蒸したり焼いたり茹でたりしたものを指す。醤油やきな粉を上からかけたり、白玉団子をあんみつに入れたり、串に刺して食べたりとアレンジの幅が広い。
〈餅〉
縄文時代後期に伝来した、日本最古の加工食品。蒸したもち米を粒の状態で、粘りが出るまでついて丸めたものを指す。奈良時代には神聖な食べ物とされ、平安時代には鏡餅が作られるようになった。餡やきな粉をかけたり、醤油や海苔などでしょっぱく味つけすることも。
3.もし饅頭が硬くなってしまったら
饅頭本来の美味しさを心ゆくまで味わうなら、そのままの状態でなるべく早めに食べるのが一番です。しかし万が一、日にちが経って硬くなってしまったら、次のような方法を試してみてください。
〈蒸す〉
手間ひまはかかりますが、できたてのようにふっくら柔らかい状態に戻すには、蒸し直すのがおすすめです。蒸し器やセイロをお使いの場合は、ふきんを固くしぼって下に敷いておきましょう。
- (1)鍋にお湯を少し注ぎ、深めの皿を入れます。
- (2)皿の上に饅頭を並べ、ふたをして火にかけます。
- (3)沸騰したら弱火で約2〜3分、さらに火を止めて約2〜3分蒸らすと、ふんわり柔らかく仕上がります。
〈電子レンジで温める〉
乾燥を防ぐために包装用セロハンを付けたまま、もしくはセロハンをはがした饅頭に、水で濡らしたキッチンペーパーをかぶせてラップで包み、1個あたり約7〜8秒を目安に加熱してください。饅頭の大きさやレンジの機種、ワット数によって加熱時間は異なります。温めすぎには気をつけましょう。
【注意】あくまでも賞味期限内にお試しください!
4.饅頭はギフトにもおすすめの縁起物
古来より、饅頭は日本の伝統行事やお祝いの席に欠かせない和菓子でした。
餡に使われる小豆の赤は邪気を祓う色とされ、コロンとした丸い形は円満や縁につながる縁起物と考えられてきたのです。
大切な家族や友人への手みやげに、日ごろからお世話になっている人に感謝の気持ちを込めて、おめでたい饅頭の贈り物はいかがでしょうか。
《出典元・参考文献》
草加市
https://www.city.soka.saitama.jp/cont/s2105/030/010/010/PAGE000000000000037968.html
農林水産省
https://www.maf1f.go.jp/j/pr/aff/2002/spe2_01.html
全国和菓子協会
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松風そよぐ草加の名勝をイメージしたしっとりもちもちの饅頭「松ヶ音餅」
そよそよと心地よい風が松の梢を揺らす音色。1916年(大正5年)創業の老舗・草加葵が地元の景勝地「草加松原」の風雅な情景を饅頭にしました。
北海道産小豆の風味が香るしっとりなめらかなこし餡を、もっちり食感の生地で包んだ優しく上品な味わい。一つひとつ丹精込めて作った、新しい草加銘菓です。
松ヶ音餅の「松」は、常緑樹で一年中青い葉を茂らせていることから、生命力や不老長寿の象徴として知られている縁起物。コロンと丸い小豆餡入りの饅頭は、お祝いや手土産、自分へのご褒美にも最適です。
小豆の自然な甘みが引き立つ「こし餡」、濃厚なごまの風味が香ばしい「黒ごま餡」、甘酸っぱく爽やかな「いちご餡」、素朴な白みそに香り豊かな柚子を合わせた季節限定の「柚子みそ餡」、4種の味が楽しめます。
〈おすすめの食べ方〉
袋から開けてお皿に乗せ、500Wの電子レンジで5〜10秒ほど温めれば、できたてのような美味しさが味わえておすすめです。
※一緒に入っている脱酸素剤(エージレス)は、レンジ対応ではありません。
レンジにかけると火花が散る、発火する等の危険を伴う可能性があります。必ず外してから温めてください。(脱酸素剤を誤って一緒に温めてしまった食品を食べても人体に影響はありません)
ひとくちメモ
松ヶ音餅の由来「草加松原」とは
江戸の昔、草加市には日光街道第二の宿場町・草加宿がありました。草加宿の綾瀬川沿い一帯には、南北に風光明媚な松並木が広がり、当時から「草加松原」「千本松原」などと呼ばれ親しまれていたそうです。一説によると、この松は1683年(天和3年)の綾瀬川開削に伴い、街道が整備された時に植えられたのだとか。
俳人・松尾芭蕉は1688年(貞享5年)、隅田川のほとりにあった芭蕉庵を引き払い、翌年の1689年(元禄2年)に「おくのほそ道」の旅に出ました。芭蕉は舟で千住に行き、その後は徒歩で日光街道を北上。草加宿に立ち寄ったことは「おくのほそ道」でも触れられています。
芭蕉が眺めたであろう草加松原は、昭和期に排気ガスや道路舗装などの影響で一時本数を減らしましたが、街の人々の地道な保全活動により、現在は634本もの松並木が約1.5kmも続く散策路として、訪れる人の目を楽しませています。
その美しい景観は「日本の道百選」「利根川百景」「おくのほそ道の風景地(国指定名勝)」にも認定されているほど。松ヶ音餅のモチーフとなった草加松原は、草加市のシンボルとも言える存在なのです。